自分らしく、私はわたしでありたい④〜苦労話や黒歴史は恥ずかしいー!

*このストーリーは2015年のもの。
個人事業主のプロフィールストーリーを書くお仕事をしていきたいという方が書いてくださった記事です。

アメブロに公開していた記事をそのまま紹介しています。

こんな風に書いてくださっていますが・・

私は自分を表現することが人の目を気にしてできずにいる頃でした。

たくさんインタビューしてくれて、私が乗り越えてきた道のりにたくさんの価値を見つけ出してくれたのに

私がそんなことはカッコ悪い!!と思って、それ書かないでー!

その表現やめてー!って言ってばかりでした・・

その一番は「離婚したなんてこと書かないで!」

それをなんとかつなぎ合わせて書いてくださったものをそのまま出しています。

実は自分のことを好きになれない

どんな自分でもマルって言えない頃でした。

よく見せようと不要な鎧をたくさん着込んで

自分を守っていた時期のものです。

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でも、仕事の順調ぶりとはウラハラに、睡眠時間も少なく、食生活も乱れてる。

人を癒す仕事をしてるくせに自分はボロボロ。

ふと「こんなに身を削る生活でいいのかな」なんて考える日も出てきます。

そんな折、スクール運営会社が経営破たんしてしまい、強制的にこの生活が終了してしまいます。

3年間の、講師生活でした。

(タイ・チェンマイに本校を持つマッサージスクールのロイクロ日本校にて講師勤務)

そしてまた声をかけていただき、次は避暑地・軽井沢で、ハイクラス層向けのサロン責任者として働くことになります。(星のリゾート内・タイマッサージサロン常世)

軽井沢は避暑地という場所柄、夏の繁忙期と冬の閑散期の差がとても激しいです。

さらに、お客さまは有名人や著名人、富裕層ばかりという、ちょっと特殊な環境でした。

なので、冬の売り上げが低いとか、お客さまと何を話していいかが分からないとか、スタッフの悩みも多くあり、モチベーションや自信などをどう保つかなどが課題でした。そのため、私もスタッフたちに熱心に寄り添ってきました。

また、軽井沢時代は、いつか独立したいという気持ちも芽生えていたので、周りには常に「いつか辞める日が来るからね」と言っていました。

でもその日は、突然訪れました。認知症の祖母を介護する母からSOSをもらい、新潟に戻り、介護の手伝いをすることになったんです。

介護の傍ら、実家の空き部屋を使って、自宅サロンを運営しはじめました。

自分らしく私はわたしで生きたい⑤へ続きます

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