myストーリー・生き方ごとを商売に活かすセラピスト物語⑦

*こちらの記事は
2016〜2017年に通った
商売講座の課題で書いた
プロフィールストーリーです。

順風満帆のように見えた会社が倒産

気がつけば、
自分の人生は180度違うものになっていました

収入はパートで得ていた時の5〜6倍。
やりがいも充実感も感じたことのないレベル。

人脈はどんどん広がり
事務スタッフまでついてくれるようになり
チームワークも円滑で本当に楽しい日々でした。

店舗も順調に売り上げを伸ばし
何もできない自分と思っていた自分が
こんなにも周りを喜ばせ
勇気づけ、自信が持てるようになるとは
思わなかったし
まさかインターネットでの発信で
こんなにご縁が広がると思ってもいませんでした。

両親は反対していたわけではないですが
そんな仕事で食べていけるのか?
あまり良い目で見てはいなかったのですが、
お金もかけて何でもやらせてくれた親に
今まで何もできなくて
申し訳ない気持ちがいっぱいだったのが
どんな仕事だっていいじゃない!
と思えるようになってきて。

いつの間にか親も
認めてくれるようにはなっていたのですが
その反面、家にいられる時間は少なく、
ケガで仕事ができない時期があった元夫も
出世や肩書き取り戻すためか仕事に打ち込み
すれ違うことが多くなっていき。

夫婦のあり方も頭のどこかにありながら、
次々とオープンする店舗のための
スタッフ育成、スクール授業
ミーティングに忙しく
リラックスどころか
自分が一番休養が必要な状態。

1ヶ月休みがない状態なんて当たり前。

店舗でスタッフが何かに行き詰まり
不安を口にしても
あの頃は「頑張って」しか言えず。

自分自身も
どんどん気持ちのゆとりを失っていきました。

拡大する店舗、
有名になっていくスクールでの看板講師と
セラピストライフを綴っている
人気のブログでの広告塔。
10店舗近くある直営店は
スクール卒業生で
その人たちからは憧れの存在。

各リラクゼーション業界の
著名な先生方との交流も増え
いつしか自分が何者か
わからなくなってきました。

私は有名になりたかったわけでもない
尊敬のまなざしで見られたかったわけでもない
肩書きも何もいらないから「私は私に戻りたい!」

元夫とは、収入で張り合うようになり
いかに自分が大変なポジションであるかの
言い分の押し付け合いばかり

この頃には、
スクールの評判を落とさないための
ブログの文章になっていました。
誰かの言葉が一人歩き。

癒しの業界にいる自分が
家庭では夫とは
ぐちゃぐちゃ、なんて
そんな関係性がバレてたまるか!って
必死で取りつくろっていましたし。

そんなエネルギー状態では
てきめん、受講生は減っていきました。

店舗でもスタッフの不満が多く
離職者が多くなり
スタッフ同士の交流も少なくなり
売り上げに追われ
夜中に開いたメールには
スタッフから失望の声が
書かれていることもありました。

ふがいなさを責め
責めてる時間もないくらい
仕事に追われて。

とはいえ
果たしてそんなに全部
私がやらなくてはいけないことだったのかな

リーマンショックという
時代の流れもありましたが
店舗拡大と売り上げのバランスを崩し
ロイクロというタイ・チェンマイに本校と本店を持つ
日本の組織は倒産という形で
終わってしまいました。

タイ本国のみの経営に戻り。
何か思いが半ばのまま
精神的に限界のまま役割が
強制終了した感じでした。

生き方ごと商売に活かすセラピスト物語⑧に続く

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