自分らしく私はわたしでありたい③〜楽しいけれど不安。評価の基準はいつも外側

*このストーリーは2015年のもの。
個人事業主のプロフィールストーリーを書くお仕事をしていきたいという方が書いてくださった記事です。

このインタビューを受けた時

自分の環境、生活が大きく変化している頃で

大きな仕事にチャレンジできる

自分のサイズ以上に何か与えられたことに

応えていかねばならなくなってきた・・・

そんな時期でした。

専業主婦から外に働きに行くようになり

目の前の人が自分の手だけ、関わりだけで

元気になったり笑顔になったりする仕事は

会社の一つのコマみたいな生き方じゃなくて

わたしだからできることを見つけたような感覚でした。

「講師」となり「教える」ということを任されたとき

「先生でいなくては」

「こんな程度では人に教えるなんて未熟すぎる」

どこかでそんな風に自分を評価して

誰かの決めた「先生像」に自分を当てはめようと必死だったように思います。

でも、人の成長に関わるというポジションは

本当に楽しくて。

会社への提案もすぐに通りやりたいことへの挑戦もでき

とても忙しかったけれど、満足の毎日でした。



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タイからの帰国後は、東京の老舗マッサージサロンに併設されていたスクールで日本人向けの技術や接客を学びました。

そしてそのご縁で、タイ式マッサージサロンで働き始めました。

1年 前まで専業主婦でモヤモヤしていた私からしたら、ビックリするほどの変化!

実際にお客さまに施術を始めると、自分に足りないところとか、もっと勉強したいと思うところが出てきます。

タイ式マッサージの世界は、「働く」「休みを取って学ぶ」を繰り返すことが割と普通だったので、私もお仕事のおやすみをもらい、自分に足りないところを補いに、東京にあるサロン併設スクールで1ヶ月ほど学ぶことにしました。

授業には、ペアになって練習をして、お互いの施術のフィードバックをするという時間がありました。

私の感想を取り入れて上手になっていくペアの相手を見て、

「教える」「伝える」喜びを感じてしまった私は、いつかアシスタントでもできたら・・・と淡い思いを抱えるようになりました。

すると、アシスタントを通り越して、なんと相当の好条件で講師のオファーをもらいます。

スクールでは、講師としての役割だけではなく、入校希望の方へのフォローなどもこなし、学校の収益も2倍以上に伸ばすという快挙も成し遂げました。

スクールの広告塔のようにもなり、業界ではちょっとした有名人にもなりました。

自分らしく私はわたしで生きたい④へ続きます

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