myストーリー・生き方ごとを商売に活かすセラピスト物語④

*こちらの記事は
2016〜2017年に通った
商売講座の課題で書いた
プロフィールストーリーです。

気持ちを伝えることでステージアップ!

経験を積む中で、
阪神大震災から必要とされ始めた
癒しや心のケアにより
リラクゼーション業界の発展が著しく
必要とされながらも
応援していたはずの夫からも
そんなので食えるわけがない
家にいてもらう方がよほどいい
周りからもそれって何の仕事?
風俗?と理解されない苦しさにもがき始めました


認知度が低いのはどうしてだろう?
仕事としてモデルケースが少なすぎる
経験値を上げたいけれど働き場がない

技術力やサービス力が足りなくて
認めてもらえないなら私がもっともっと高めてやる!
それなら働き場も私が作ってやる!

それなら私が認められるようになってやる!

素晴らしい仕事だと感じている自分とは裏腹に
世間で認められていない職業に感じて
自分がどうにかしてやる!と思ったのです。

(認められたい、が原動力でした・笑)

加えて「セラピスト」という職業の

給料の安さや、認知度の低さ

認められにくい職業であったということを

「稼げることで認めてもらいたい」そんな思いも

強く強くありました。



さらに学びを得ようと
タイに本校を持つ
タイマッサージスクールの日本校が
東京にできたので
そこでさらに技術を高め
その学校と他との大きな違いであった
タイに本校を持ちながら、日本校を持ち
タイに本店のお店を持ちながら
日本でも店舗展開をしているという環境に
魅力を感じます。


その日本の現場で働ける
技術力・サービス力を身につけ
直営店での勤務も可能という環境を見たいのと
さらに日本人向けの技術や
サービスを学びたかったので
生徒としてそこへ学びに行ったところ
同じクラスの人はもちろん、全くの初心者。

自分はすでにアルバイトとして
実際のお客様に入っていたので
ペアを組んで練習する時にも
もっとこんな風に触ると気持ちよさが増すかも
そうそう、できてるよ〜など

相手にフィードバックをしているうちに
教えることが教えられるという体験をし
何か相手に伝えた時の
相手の成長やよろこびの表情に出会える毎日が楽しくなり

まさに、身体だけではなく心ごとのケアとして
セラピストが必要とされている時代に
日本人だからこそできる温かいサービスで
日本人の疲れを知っている人たちが
きめ細やかな対応をしていくことができたら・・・

子ども時代から
旅行会社に勤務の母親の影響で
さまざまなサービスに関しての
話題が家の中でも多く話されていて。

出かける度に
受けたサービスについて感じたことを
話題にすることが多かったり
サービスの質で残る思い出の多さも
小さい頃から体験させられていたので
サービスの質が満足度に直結することなど
技術だけではなく
心も育てていけることをやりたい!


そんな想いをそのまま
そのスクールで講師に伝え、
そっと自分のブログで発信していたところ
社長の耳に目にとまり、
その会社で新規店舗の技術指導のポジションで
来てもらえないかというオファーをいただきました。

しかし私は店舗ではなく
スクールという場での
人の成長に関わる体験が忘れられないことや
業界全体の認知度を上げ
技術力やサービス力の高い人材を
育てる側をやりたい想いを伝え
もっとセラピストのイメージが変わり
目指したい人たちの
働きやすさにつながることをやりたいこと

それには限られた店舗での技術指導ではなく
育成をする側で関わりたい気持ちを伝えました。


一度は断られたものの
私の想いを知った当時のスクール講師が
自分のステージアップのために
スクール講師を卒業したいが
後任がいなくて言い出せずにいた

そうであれば私に
自分の後を任せたいと言っているとのことで
改めてスクール講師と
セラピスト育成の部門で
スタッフとして来てくれないかという
オファーをいただくのでした。


時給数百円のアルバイトで
いつも電卓叩きながら、通っていたような私に
びっくりするくらいの報酬額が提示されました。
元夫とさほど変わりない給料額でしたから。


*私に後任をと言ってくれた講師Sさんは
あの頃にオープンが決まっていた五つ星ホテル
◯ンダリン・◯◯エン◯◯ホテルの
スパセラピストに応募し、スパセラピストの夢を叶えたのでした。


そしてこの時に
旅行好きの自分の経験
その旅行の中で受けるサービスの
比較が好きな私、が
その経験までも仕事に行かせるという
そんな「私だからできる」
働き方があることを知ったのでした。

生き方ごとを商売に活かすセラピスト物語⑤に続く

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